HOP STEP FAMILY DIARY
自閉症児の継子とのステップファミリーライフ♪
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2010-01-27 (Wed)
そういえば、継子達は私のこと、最初から
「お母さん」
と呼んでいたなー、とふと思い出しました。
結婚前に継子達に会ったのは一度だけ
今思えば一発勝負
でかなり危険だったよな~、と
でも継子達とは静岡と岩手で離れていたので、
結婚のあいさつに行く時に会うしかなかったんです
結婚しようと決めて、実際結婚するまで4ヶ月しかなかったし
旦那様も当時は子供達を岩手のおばあちゃん宅に預けて
仕事で新潟にいましたから。
なかなか4人で会える時なんてないわけで。
それに時間が作れたら、なるべく彼と2人で会いたい
というのが女心
わざわざ岩手で集結してデートするよりは
新潟に行って2人で会いたかったので、結局継子達とは一度きり。
ちなみに凌太が幼稚園の年長さんくらいまでに、
何度か会ったことあるんですよ
同じ職場でしたから
だから初対面ではなかったんです
もちろんその頃は実ママがいて、花火大会があると会社の屋上で
ご家族で見に来ていました。
幸せそうな一家だと思っていたのにな。
わからないものですね。なーんて。
ちなみに小学4年生になって再会した凌太は、
私とは初対面だと思っていたみたい
ま、子供の記憶なんてそんなものですね
そうそう、夏祭りで、実ママに連れられて事務所に入ってきた凌太。
ちなみに他の奥さん達は遠慮がちに事務所の入口で待機して、
こっちが
「どうぞ、遠慮なく入ってきてください」
と言ってから
「スミマセン」
なんて言って、入って来ていましたが、
実ママだけはちゃっちゃと勝手に入ってきていましたね~
あんたは社員かっ!!
って感じ?
ああいうところからして、実ママはちょっと常識がなかった気がします
で、当時幼稚園児だった凌太に、机の中からストックしてあったお菓子をあげたら
「ありがとう!!」
なんて元気いっぱいにお礼言ってくれたっけ。
ふふふ。懐かしい。
まさかあの時は、この子が自分のことお母さんて呼ぶようになる、なんて
もちろん想像もしてなかったっけ。
人生ってホント、わからないものだわ~
ちなみにその時の駿平は、私の記憶にあんまりないんですよね
多分実ママにひっついていたんだと思います。
いつも子供は2人いましたから(笑)
で、確かお菓子は
「2人で食べてね」
って感じで、代表して凌太に渡したと思いますが・・・。
駿平の障害とか、その時は気づかなかった私。
話はそれましたが、当時は当然凌太も「ママ」「パパ」って呼んでいました。
結婚の挨拶にいった時も
「パパ」
と旦那様のことを呼んでいたので、
結婚したら私はママかしら?
っていうか、ちゃんと呼んでくれるのかしら?
いやでも、何かママとかいきなり呼ばれるのも照れくさいな~。
なんて、色々考えていたのですが、
結婚してすぐに継子達に会いに行く前日、
凌太から電話があって旦那様が取りました。
で、旦那様が話を終えた後、
「はい、お母さんに替わって、だって♪」
と嬉しそうに受話器を渡すのでびっくり!!
ひょえーっ!
結婚前に一度会っただけなのにいきなりお母さん?
っていうかママじゃなくてお母さん、なのね。あははーっ!
って、何かそんなことごちゃごちゃ考えた記憶が(*≧m≦*)
いきなりママも恥ずかしいけど
まだ33歳だった私は、いきなりお母さんもちょっとガッカリしちゃったっけ。
でもだからってママも照れくさいし、やっぱりお母さんが妥当!?
なんて、とにかく最初から「お母さん」だったので
うれしさとショックと戸惑いと・・・うーん、まぁもちろん
最初に呼んでしまえばそれから楽だからいいんでしょうけど、
何とも言えない複雑な気持ちはありました(*≧m≦*)
旦那様は「お母さん」とすぐに呼んだことが
とても嬉しかったみたいで、ニヤニヤしながら受話器を渡して来ましたが
私はそこまで嬉しい訳じゃないんだけどなー、とか
早くもいじわるな継母根性出現?!(笑)・・・何かそんな感じでしたねー
ちなみに、その電話の翌日、結婚後初めて継子達に会いに2人で行ったら
旦那様のことも
「お父さん」
に変わっていました(*≧m≦*)
ちょっと不慣れで呼びにくそうでしたが(笑)
まぁでも当時小学校4年生だった凌太。
ママ・パパ→お母さん・お父さん
に切り替えるのには、ちょうどいい時期!?なんて思いましたが♪
で、姑とそんな話をしたら、
「駿平がね、学校で、お父さん、お母さん、て教わってるの。
だから凌太ももうお父さん、お母さんで統一させようと思って」
なんて言っていましたが、
多分実ママと私をきちんと区別させよう、とか
パパ→お父さん も、私という新しい母親が来たことで
ちょっとした気持ちのリセットをさせよう、という姑の配慮だったのかなー、
なんて思いました。
駿平は「おかあさんだよ」と言われたらそのまま
「おかあさん」
と言う子なので、まぁそのまま自然に「お母さん」になりましたが。
そういえぱおかあさんといっしょが未だに大好きな駿平(笑)
ママもおかあさんもいなかった時期は
どんな気持ちで観ていたんだろう?
・・・うーん、何も考えていなかった かも?!
ふふふ。
どうだったんだろうね?
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「お母さん」
と呼んでいたなー、とふと思い出しました。
結婚前に継子達に会ったのは一度だけ

今思えば一発勝負


でも継子達とは静岡と岩手で離れていたので、
結婚のあいさつに行く時に会うしかなかったんです

結婚しようと決めて、実際結婚するまで4ヶ月しかなかったし

旦那様も当時は子供達を岩手のおばあちゃん宅に預けて
仕事で新潟にいましたから。
なかなか4人で会える時なんてないわけで。
それに時間が作れたら、なるべく彼と2人で会いたい


わざわざ岩手で集結してデートするよりは
新潟に行って2人で会いたかったので、結局継子達とは一度きり。
ちなみに凌太が幼稚園の年長さんくらいまでに、
何度か会ったことあるんですよ

同じ職場でしたから

だから初対面ではなかったんです

もちろんその頃は実ママがいて、花火大会があると会社の屋上で
ご家族で見に来ていました。
幸せそうな一家だと思っていたのにな。
わからないものですね。なーんて。
ちなみに小学4年生になって再会した凌太は、
私とは初対面だと思っていたみたい

ま、子供の記憶なんてそんなものですね

そうそう、夏祭りで、実ママに連れられて事務所に入ってきた凌太。
ちなみに他の奥さん達は遠慮がちに事務所の入口で待機して、
こっちが
「どうぞ、遠慮なく入ってきてください」
と言ってから
「スミマセン」
なんて言って、入って来ていましたが、
実ママだけはちゃっちゃと勝手に入ってきていましたね~

あんたは社員かっ!!
って感じ?
ああいうところからして、実ママはちょっと常識がなかった気がします

で、当時幼稚園児だった凌太に、机の中からストックしてあったお菓子をあげたら
「ありがとう!!」
なんて元気いっぱいにお礼言ってくれたっけ。
ふふふ。懐かしい。
まさかあの時は、この子が自分のことお母さんて呼ぶようになる、なんて
もちろん想像もしてなかったっけ。
人生ってホント、わからないものだわ~

ちなみにその時の駿平は、私の記憶にあんまりないんですよね

多分実ママにひっついていたんだと思います。
いつも子供は2人いましたから(笑)
で、確かお菓子は
「2人で食べてね」
って感じで、代表して凌太に渡したと思いますが・・・。
駿平の障害とか、その時は気づかなかった私。
話はそれましたが、当時は当然凌太も「ママ」「パパ」って呼んでいました。
結婚の挨拶にいった時も
「パパ」
と旦那様のことを呼んでいたので、
結婚したら私はママかしら?
っていうか、ちゃんと呼んでくれるのかしら?
いやでも、何かママとかいきなり呼ばれるのも照れくさいな~。
なんて、色々考えていたのですが、
結婚してすぐに継子達に会いに行く前日、
凌太から電話があって旦那様が取りました。
で、旦那様が話を終えた後、
「はい、お母さんに替わって、だって♪」
と嬉しそうに受話器を渡すのでびっくり!!
ひょえーっ!
結婚前に一度会っただけなのにいきなりお母さん?
っていうかママじゃなくてお母さん、なのね。あははーっ!
って、何かそんなことごちゃごちゃ考えた記憶が(*≧m≦*)
いきなりママも恥ずかしいけど
まだ33歳だった私は、いきなりお母さんもちょっとガッカリしちゃったっけ。
でもだからってママも照れくさいし、やっぱりお母さんが妥当!?
なんて、とにかく最初から「お母さん」だったので
うれしさとショックと戸惑いと・・・うーん、まぁもちろん
最初に呼んでしまえばそれから楽だからいいんでしょうけど、
何とも言えない複雑な気持ちはありました(*≧m≦*)
旦那様は「お母さん」とすぐに呼んだことが
とても嬉しかったみたいで、ニヤニヤしながら受話器を渡して来ましたが
私はそこまで嬉しい訳じゃないんだけどなー、とか
早くもいじわるな継母根性出現?!(笑)・・・何かそんな感じでしたねー

ちなみに、その電話の翌日、結婚後初めて継子達に会いに2人で行ったら
旦那様のことも
「お父さん」
に変わっていました(*≧m≦*)
ちょっと不慣れで呼びにくそうでしたが(笑)
まぁでも当時小学校4年生だった凌太。
ママ・パパ→お母さん・お父さん
に切り替えるのには、ちょうどいい時期!?なんて思いましたが♪
で、姑とそんな話をしたら、
「駿平がね、学校で、お父さん、お母さん、て教わってるの。
だから凌太ももうお父さん、お母さんで統一させようと思って」
なんて言っていましたが、
多分実ママと私をきちんと区別させよう、とか
パパ→お父さん も、私という新しい母親が来たことで
ちょっとした気持ちのリセットをさせよう、という姑の配慮だったのかなー、
なんて思いました。
駿平は「おかあさんだよ」と言われたらそのまま
「おかあさん」
と言う子なので、まぁそのまま自然に「お母さん」になりましたが。
そういえぱおかあさんといっしょが未だに大好きな駿平(笑)
ママもおかあさんもいなかった時期は
どんな気持ちで観ていたんだろう?
・・・うーん、何も考えていなかった かも?!

ふふふ。
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久しぶりです^^
うちは再婚した時前妻との子ふたりは
かみさんと親子って歳の差じゃなかった事もあって
長女の方は名前にさん付けで・・・
あれ?以前書いた事あったかな???
次女がやっと親子でもアリかなって歳の差で
「おかん」って呼んでるけど
うちではかみさんの事呼び方がバラバラです
やっぱり最初が大事とは思うけど、るるさんとこは
「どうせ自分が産んだ子じゃないから」って言い訳が
無いし、親子になる!とか家族を作る!って努力が
感じられるのが凄いと思いますよ
わが家も!
今のパパと再婚したのをきっかけに、私の実子もママ→お母さんに変えさせました。
けじめ的な感覚が私の中にあったのかも知れません。
るるさん、実母に会った事があるんですね~!
当時はまさか自分が母親になるなんて想像もつきませんよね

私だったら・・って考えても同じですもん!
ほんと、人生どこでどうなるかなんて分からないものですね。
そうそう、駿平くんのパニックの原因分かったんですね。
よほどショックだったんでしょうね(笑)
でも、電化製品って壊れやすくないですか?
特に音楽系のもの・・・
お母さん
テンプレ-ト変えたのね^^今回のもかわいい
「お母さん」そうだね・・・
いきなりそう呼ばれてもね
うちは、ママ⇒お母さんに切り替えたきっかけは
ある、お母さんのこんな言葉
保育所へ迎えに来たあるお母さんが子供に
「●●~お母さん今日は疲れた~」って言ってるの聞いて
あ~、なんかいいなぁ~って^^
そのお母さん、まだ若かったんだけど、なんかすっごく親子のあたたかさが伝わってきたんだぁ-。
お母さん・・・なんかいいよね^^
2010-01-28 06:38 buruman URL [ 編集 ]
おーまささんへ♪
そっかー、みんな呼び方はそれぞれなのね(*≧m≦*)
歳が近いと「おかあさん」は呼びにくいものね~。
おーまささんとこは次女ちゃんとか
思春期で色々あるだろうけど、奥さんと上手につき合ってる感じ♪
何か素敵です♪
いつも温かいコメントをありがとう♪
☆れれれ☆さんへ♪
☆れれれ☆さんちもそうだったんだ(⌒▽⌒)
うんうん、けじめ的な感じがするよね♪
そうなのー、実母には何度も会ってるのよ(;^_^A
何かねー、社員旅行の宿泊先にもドライブがてら
子供達連れて迎えに来ちゃうような人だったのよー。
浮気しないかギラギラしてた感じ!
携帯のない時代には、一日に10回くらい
「○○です。いつもお世話になっています~」
って言って、会社に電話してきてさ、業務妨害もいいとこ(;^_^A
後で考えたら、当時駿平が生まれたばかりで
色々不安もあったのかもしれないけどね。
障害もあったわけだし、普通と違う、っていう不安とかもね。
ホント、すぐに壊れるよね、音楽系!
でも駿平の扱いもかなりのものだから、
それで壊れているのもあるかも(*≧m≦*)
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